Just monica. 前編:なかかみ

「限りなく黒に近いグレー、って表現あるじゃない?それをこの前、限りなく黒に近い白って言い間違えちゃったのよね。ねえ、アリサはどんな色だと思う?限りなく黒に近い白って」
そういってユリは話しかけてきた。顔をあげると前の席に座っている。教室で忙しそうに勉強している最中だっていうのに遠慮なく話しかけてくれちゃって。話を聞く気がないことを伝えるために、目線を机の上の参考書へと戻す。
「これが数字の話だったら簡単よね、限りなく0に近い1とかだったら。限りなく0に近いって言われても1は1でしかないんだから。でも色となったら話が違う。人間の感覚に基づいて定義していかなくちゃいけない、揺らぎとか、幅とか、感覚的なことを考えていかなきゃいけないのよ」
「色も機械で測っちゃえばいいじゃない…」
「わたしはそんな、黒が(0,0,0)で白が(255,255,255)みたいな話をしに来たんじゃないのよ。限りなく黒に近い白を考えたときに、人が白って認められる色の限界っていうのがあるのか。それにそんなものがあったとしてそれは他者から了解を得られるのか。そういう話がしたいのよ」

ここまで大丈夫かしら、と言いながらユリは私の顔を覗く。

「それで、そういう話をわたしとしに来たってわけ。なんでそんなこと考えなきゃいけないの…」
「それはマナーだからね。答えの出なさそうなものを、それでも楽な方に逃げずに考え続けるのが、ものを考えるときのマナーっていうやつよ」
「そんなマナー誰が考えたの?」
「わたしに決まってるじゃない。マナーっていうのは社会において、そこの構成員が楽をするために作られたルールよ。そしてこの教室には私とあなたの二人だけ」
「つまりあなたが作ったのね。あなたのために」
ユリは、そうよ、と言ってくすくす笑った。ユリの長い黒髪が翻って、目と目が合う。
「だから。考えましょう?ふたりのために」
論理の接続がどうなっているのかはわからないが、とにかく話は進めるようだ。
「限りなく黒に近い白について考えていたって言ったわよね。でも、そもそも、限りなく黒に近いグレーも相当怪しいと思わない?他人の了解を得ることは置いといて、自分が納得できるかどうかだけを考えたとしても、限りなく黒に近いグレーは最初に思っていたよりどんどん本当の黒から離れていってしまうの」
「どうしてそうなるの…」

ユリの目が大きく開く。

「黒とグレーって連続してるじゃない?数直線で0と1がつながっているみたいに。そして、色の場合、黒と思える色が範囲として広がっているのよ。どこまでの範囲を黒として認めるかは個人差があるけどね」
「色が範囲として広がっているからなんだっていうのよ」
「それで、黒に限りなく近いグレーを考えるとき、グレーの範囲内にある色を黒に限りなく近づけていくんだけど、黒の範囲に入っちゃう程近づけたらダメなの。これ、わかる?」
「限りなく黒に近いグレーは、あくまでグレーだから?」
「そうよ!分かってるじゃない、私たちはこの色をグレーから出しちゃいけないの。で、黒とグレーは別の色なんだけど、その境界ってなるとひどくあいまいになってしまう。この色は黒じゃないですよーって安全マージンを取ろうとしたら、限りなく黒に近いグレーって聞いて最初に思い浮かぶ色よりも相当グレー寄りのグレー、までしか黒に近づけないのよ。限りなく近いって言ってる割には黒とグレーの間に一枚壁を挟まなきゃいけないの」
ここまで話すと、ユリは、どう?この面白さ分かる?と聞いてきた。わかんない、とぶっきらぼうに言うとユリは楽しそうに笑った。ユリが笑っているのを見るのは純粋に好きだ。笑いながらでも人の目を見ようとする癖はやめてほしいけど。不意に目が合うとびっくりしちゃうから。
「まあ色の認識なんてひどくあいまいなものよねって言いたかったの。最初に言ってた限りなく黒に近い白も同じよ。白から黒に近づけて行くんだけど、その間で、グレーの範囲に入っちゃいけないの」
ある程度落ち着いたようで、ユリは椅子に深く座りなおした。
「色の認識はあいまいだって話だけど、私の限りなく黒に近いグレーと、アリサの限りなく黒に近いグレーはどのくらい近いのかしらね」
 そう言われてちょっと考えてみたけど、多分私の想像した色はユリのものより黒に寄っているんだろうな、という気がした。私はユリよりもこの問題についてじっくり考えてないから、黒の範囲にグレーが侵入することへの危機感が足りてないんだろうな、と。
 私が少し考えている様子をみて、ユリはつぶやいた。
「まあアリサの見ている世界と、私の見ている世界はあらゆる意味で違うからね」
 目線を上にあげると、ユリが学校指定のカバンからリンゴを取り出してしげしげと見つめていた。
「このリンゴの赤色。アリサもこのリンゴが赤いということにはきっと同意してくれると思うの。でも、私の中の赤色と、アリサの中の赤色が真に同じだとは思わない。相対的に、現実のリンゴをみて赤色をチューニングしてるに過ぎないのよ。何なら、それぞれの脳内での赤色と緑色がお互い入れ替わっていてもおかしくないし、それに気づく方法もないわ」
 リンゴを片手に持ちながらユリはひとり言のようにつぶやいた。これはあまり私に説明する気もなさそうだ。
 会話が終わったようだったので、参考書を開きなおすとユリが私の横髪をさらって頬に手を添えた。


ねえ。わたしたちの見る赤色は多分同じものではないけれど、黒色なら同じものが見れるんじゃないかしら。
黒なら、無だから。ただ何もないだけだから。
光のない世界でも、アリサがいるって分かってるなら、私はそれでもいいよ。


あれ、わたしの髪ってこんなに茶色かったっけ。

窓の外から遠くの恒星の光が、差している。

光が髪を透けさせて、ユリの瞳を照らしている。黒い瞳に反射して、銀河みたいで、きれいね。

ひと月前からわたしたちは漂流している。窓の外には宇宙が広がっている。

現実逃避をするように、窓の外を見ないようにして。


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